〜自分を一番に考える〜
(フリーダムニュース 2005年6月号)
前回、自己と向き合うことは、誰にとっても非常に難しくてつらい作業だと書いた。ましてや、薬物を使用してきた人にはなおさら苦しい。薬物はいわば心の痛み止めのようなもので、痛み止めが切れた後、心の傷は以前よりもっと激しくうずくからである。
自分と向き合うのが苦しいとき、人は何をするだろうか。大抵の場合、他人の世話を焼くのである。サンフランシスコ郊外の薬物依存治療施設で働いていたとき、自分自身とても大きな問題に苦しんでいるにもかかわらず、自分のことそっちのけで他人の世話に夢中になる人たちに数多く会った。彼らに、自分のことを一番に考えてもらうのは、実に難しい。
私のクライアントに、19歳の少年がいた。彼は母子家庭で母親に虐待されて育ち、ついに高校時代のある日、家を追い出されて路上生活を始めた。その過酷さから薬に手をだし、うつ状態になって、私がセラピストとして通っていた薬物依存治療の居住施設にやってきた。
私との週に一回の個人セッションで、彼は多くの時間を、戦争や不平等、環境破壊が蔓延する世界の現状に憤り、自分が持つ壮大な夢を語ることに費やした。彼の夢は、環境問題を解決する会社を立ち上げることだった。テレビでよく見かける著名な研究者のところへ、「がんを治療する画期的な療法を見つけた」と電話をかけたという話をしたこともある。なんでも、どこかの武道の本に書いてあったのだそうだ。「動物の殺傷は許されない」と完全菜食を貫き、菜食主義に理解のないスタッフと食事のことでもめることもよくあった。
彼の話は、確かに若者らしい正義感と理想主義に満ちあふれており、一見したところ青春時代の一つの典型と見えないこともない。が、よく観察してみると、彼自身の現実がそこからすっぽり抜けている。彼には、ほとんど何もない。帰る家もないし、高校は当然中退してしまった。この施設を出たらどこに行く事になるかも分からない。それなのに自分のことよりもずっと、世の中のことを心配している。自分について話すことと言えば、現実離れした計画ばかり。目先のことを、地に足をついて考えることができない。
彼が一度、私の前でとめどなく涙を流したことがあった。理由は彼自身のことではなかった。彼の親しい従兄弟が軍隊に入隊したという連絡を受けて、非暴力主義者である彼は、戦争に行って人を殺すかもしれない従兄弟が不憫で涙にくれたのである。憤りや共感の涙を向けなければならないのは、まずは彼自身の傷ついた過去に対してであったのに。
私は、彼とのセッションを通じて、何とか彼が、その世界に向けるあふれんばかりの関心と同情を自分に向けられないか努力してみた。でも、自分のことになると、彼はぴんと来ないようだった。人から大切にされた経験の少ない彼は、自分を本当の意味で大切にすることを学ばないで今日まで来てしまったのだ。結局彼は、スタッフとのトラブルが昂じ、途中でプログラムから抜けていった。行き先は、ホームレスのシェルターしかなかった。
同じ施設にいた四十代前半の女性は、若くして独身で子どもを生み、すでに孫までいた。彼女は若いころからアルコール中毒に悩み、何度か治療施設への出入りを繰り返していたが、今回はプログラムに真面目に取り組み、「今度こそきちんと卒業する」と言って、私との個人セッションも進んで受けていた。
しかし、プログラムが進み、だんだん自分の内面に触れる機会が多くなると、彼女は落ち着かなくなった。そして急に、面倒を見てくれる人のない祖母が家に残されていることを思い出し、「自分が世話をしなければ」と言い張って退寮してしまった。スタッフが、「せっかくここまで頑張ってきて、卒業はもうすぐだから」と説得してもだめだった。
この2人は、いわゆる「共依存」であると言えるだろう。一般的に、「共依存」的性格の持ち主は、薬物・アルコール依存者のパートナーということになっているが、どうしてどうして、依存者本人が共依存体質であることも多いのだ。
これは別のホームレス支援センターでの話だが、あるホームレスのカップルがそろってグループセラピーに顔を出した。女性の方は、グループの間じゅうずっと、パートナーの男性の話ばかりしていた。「彼はこういうところが問題だ」「そうなったのは、過去にこういうことがあったからだ」「これから彼は、こうやって生きていけばいい」・・・などなど。横で当の本人は、「いやあ、やつは俺より俺のことが分かるんだ」と笑っているだけで、ほとんど何も発言しなかった。繰り返すが、彼らは2人ともホームレスである。彼女自身、文字通り何も持っていない。自分のことで心配しなくてはならないことは山ほどあるはずだ。それなのになお、他人の世話と分析に全力を傾けているのである。
こうした現象から言えるのは、自分に向き合うということは、ある意味、ホームレスという過酷な状況に置かれるよりも難しいということだ。他人の世話に集中している限り、死んでしまいたいほどのうつ状態にはならないだろうし、将来の不安から呼吸ができないほど苦しくなることもないだろう。自分が過去に親から受けた虐待についても考えなくて良いし、パートナーから殴られ続けたことにもふたをしておける。
しかし、そのつらい作業をくぐり抜けなければ、真の意味での回復はあり得ないのだ。そのためには、信頼できるグループや援助者の存在が必要となる。ひとりで行うには、あまりにも難しい作業だからだ。
ただ、ちいさなステップなら、自分一人でも踏み出すことはできる。自分の欲求に耳を済ませ、それを実行してみるのだ。たとえば、朝起きたときに、「今日自分は(パートナーや子どもでなく)、何を食べたいのだろう」と考え、それを料理してみる(あるいはそれが食べられるお店に行く)。疲れたと感じたら休む。だれかと映画に行くときは、自分の観たい映画を言う。ちょっとした余分なお金があれば、自分のために好きなものを買う(薬物ではありませんよ、念のため)・・・などだ。
相手の喜ぶ顔を見るのがこれほど好きなあなただ。自分が喜ぶ顔も見たくありませんか。自分を一番に考え、自分が幸せになることが、回復への第一歩なのである。
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※このコラムは今回で終了です。
〜否認という病〜
(フリーダムニュース 2005年5月号)
サンフランシスコからベイブリッジを挟んだ反対側、バークレーの北にリッチモンドという街がある。中南米やアジアからの移民が多く、安くておいしいメキシコ料理屋や中華料理屋などが軒を並べる所だ。前回紹介したフェニックスプログラムというNPOの仕事の一環で、リッチモンドにある薬物依存者の居住治療プログラムでしばらくグループセラピーと個人セラピーを担当していたことがあった。そこはキッチンでつながる平屋建ての二棟で、薬物依存を抱える18歳以上の男女が16人ほど生活を共にしていた。入居者は規則正しい生活を送りつつ、一日何度も開かれるグループに参加し、家事を分担し、庭仕事に汗を流したり、医師の診察を受けたり、外部の12ステップグループに参加したりしながら薬物依存からの回復を目指す。期間は6ヶ月で、無事プログラムを終了すると、福祉住宅を紹介してもらえたり、職業訓練プログラムやカレッジのコースを取ることができたりする。入居者の多くは無職のホームレスで、精神疾患を抱えている人も少なくないため、こうした支援は不可欠なのである。
ただ残念なことに、6ヶ月のプログラムを全うする人の数はそれほど多くない。ある日忽然と消えてしまったり、家族を恋しがって家族の元に戻ってしまったり、施設内で酒を飲んで退寮になったり(薬物使用が発覚しても、外出中に摂取した場合であれば3回までは残るチャンスが与えられるが、建物内で使用すれば即アウトである。他の入居者に示しがつかないためだ)して、途中でプログラムを去る人が多いのだ。ここは閉鎖施設ではないし、基本的には本人の意思で入居することになっているから、途中でドロップアウトしてもスタッフは止めない。前回も書いたが、回復は基本的には本人の意志であり、周りが強制することはできないのだ。我々はただ、誰かが時ならず去るたびにがっかりするだけである。
ここでグループを続けるうちに、おもしろい現象に気づいた。一見いかにも意志が弱そうで、個人面接の時にも「チエコ、僕は一生クスリをやめることはできないと思う。そのうちきっとまた使うようになると思うんだ」などと話す入居者が意外にプログラムを全うするのに対し、声高に「俺は2度と使わない」という人ほど途中でドロップアウトしていくのだ。
後者の典型が、ある男性入居者Pだった。Pは子どもの頃からの夢だった消防士という職業を誇りにしていたが、休暇中に事故でくるぶしを痛め、その怪我が元で訓練について行けなくなり退職を余儀なくされた。そのとき大きな挫折感を味わったが、もともと努力家で人当たりの良かった彼はまもなく家具のセールスの仕事に就き、かなり良い給料も取れるようになっていた。
だが足の傷は完治せず、痛みを紛らわすのと、消防士引退の挫折感を忘れるためにいつしかクスリに手を出すようになる。気がついたら彼は何もかも失っていた。家も仕事も、一人娘の親権も。後はお決まりのパターンで、司直の世話になり、監察官の紹介でこのプログラムにやってきた。以前別の居住プログラムに参加したこともあるが、最後まで終えることができずに途中でやめていた。
「あのころはまだ真剣に回復について考えていなかったんだ。でも今回は違う。俺は真剣に薬物をやめたいんだ。もう30歳を過ぎたし、家族と暮らしたい。父親としての責任を果たしたいんだ」と彼は私に向かって熱っぽく語った。グループでも場を独占する勢いでしゃべり、過去の反省と、クスリを使わない決意で発言を締めくくるのが常だった。いやいやグループに参加している入居者も多い中で、いつも目を輝かせて話してくれる彼は新米グループセラピストの私にとって有難い存在だった。「こんなに固く決心しているなら、きっと彼は頑張ってくれるだろう」と、私はかなり楽観的だった。
ところが、ある日オフィスに行くと彼の名前が入居者一覧のボードから消えている。「昨日の夜中にいなくなったわ。誰にも何も言わないで。荷物さえ持っていかなかったのよ」とスタッフの一人。もちろん「期待」を裏切られた私はがっくりだ。「あんなに前向きだったのになぜ・・・」その日のグループは、良く話す彼が消えて、いつもよりぐっと静かだったが、日ごろあまりしゃべらない参加者が比較的良く話してくれた。ひょっとしたらいつもはPの勢いに押されて、他の人は沈黙しがちだったのかもしれないなと思った。
数日後またその施設を訪問すると、彼はそこにいた。夜中に抜け出してバーでコカインに手を出したが、結局他に行くあてもなく翌日の夕方戻ってきたという。もちろん無断外泊や薬物の使用は重大な規則違反ではあるが、例の「3回ルール」のために今回は戻ることを許されたのだ。
その日のグループでは、彼は前にも増して饒舌だった。「もうあんな馬鹿なことは二度としない。体がものすごくクスリを必要としていたんで抜け出しちまったんだが、路上に寝てクスリが切れたときに本当に後悔したよ。あんな思いはもうまっぴらごめんだ。俺はもう絶対プログラムから逃げ出さないし、クスリも使わない。クスリをやるなんてほんとに馬鹿げてる」
ところが数週間後、彼は再び姿を消したのである。そして今度はとうとう戻って来なかった。
Pの心の内は、どのようなものだったのだろうか。彼が置かれていたような心理状態は、薬物依存者に共通する、「否認」と呼ばれる心理的防衛である。
薬物依存者の否認にも異なった段階がある。まず最初は、自分に薬物の問題があるとまったく認識していない場合。上司が自分を正当に評価しないから、妻が口うるさくてわずらわしいから、子どもがうるさいから自分は酒を飲んでるだけだ・・・と周囲に責任転嫁するタイプである。この段階にある人には、まず自分には薬物の問題があると認識してもらうことが課題になる。その認識に達し、治療施設の門をたたくまでに長い年月を費やしたり、刑務所の世話になったりするケースが珍しくないのは、さまざまな薬物依存経験者の体験談を読めばよく分かる。
次が、自分の問題を過小評価している場合。Pのケースがこれにあたる。確かに自分には薬物の問題があった、でもそれは過去の話だ、今はもう大丈夫、意志の力で何とかクスリをやめてみせる・・・というタイプだ。この段階の人は、依存、強制入院などによる解毒,治療プログラム、プログラムからのドロップアウト、依存・・・というサイクルを何度も繰り返す。彼らの課題は、薬物依存は脳の組成を変えてしまうこともある病であり、糖尿病や腫瘍などといった他の病気と同様、治療が必要であること、依存からの回復は意志の強弱の問題ではなく、周囲の助けが不可欠であることを理解することだ。
人はなぜ否認に陥るのだろうか。それは、自己を見つめるというのはどんな人間にとっても容易ではないからである。自分の内面に分け入るのは、本当にきつく苦しい作業だ。そこには見たくない過去の傷、押し殺してきた怒り、耐え難い心の痛み、失ったものに対する悲嘆など多くのつらい感情がひそんでいる。そもそも、そうした感情に向き合いたくないからこそ今まで薬物を使用してきたのだ。それよりも周囲の人のせいにしたり、「大したことないよ」と問題を過小評価したりする方がよほどたやすい。
逆に、「自分は一生クスリと縁が切れないかもしれない」という自覚は、否認の段階を抜け出し、問題の大きさを認識した状態である。こういう人たちは、たとえどこかでリラプスしてもそれで一生が終わるような絶望感にとらわれることもなく、「ああ、これも予測の範囲内だった」と淡々と受け止めて再び回復への道を歩みだすことができる。実際、回復は生涯にわたるプロセスである。「オレはもう絶対2度と使わない」と自分にも周りにも宣言するのは、そのこと自体大きなプレッシャーであり、余計なストレスを生んでそれがリラプスの引き金になることだってあるだろう。「絶対」とか「2度と」という言葉が依存者の口からもれたら、少し注意が必要かもしれない。
次回は、この「自己と向き合う難しさ」がゆえに依存者が陥りやすいわなについて考えてみたい。
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〜道を歩くのはその人自身〜
(フリーダムニュース 2005年3月号)
「自分がそれほどたいした人間だと思わないことよ」
サンフランシスコの北東、車で一時間ほど離れたコンコードという街に、ホームレス支援を主に行うフェニックスプログラムというNPOがある。そこで今春から半年あまりインターンのセラピストとして働いていたころ、ボスのアルマにこう言われた。
薬物依存と精神疾患は、ホームレスを引き起こす二大危険因子だ。米国の研究者らは、この国のホームレス人口の半数は薬物依存の経験者で、3割から4割はアルコールを乱用していると推測している。また、重い精神疾患を持つ人の3分の2が、人生のある段階でホームレスであったか、その危険性にさらされたことがあるとしている。また、重い精神疾患のあるホームレスの半数は、同時に薬物依存の問題も抱えているという推算もある。
そんなわけで、薬物依存と精神疾患の治療は、米国のホームレス対策の重要な一部を成している。セラピストとしての私の仕事は、彼らを相手に、主にグループセラピーを行うことだった。コンコードとその周辺の三ヶ所に散らばるホームレス支援センターに日替わりで行き、そこにシャワーや洗濯、昼食などのサービスを受けにくるホームレスたちに、薬物依存と精神疾患のかかわり、怒りのコントロール、PTSDと薬物依存といった、異なったテーマのグループを持つのである。
支援センターの前は、いつも大勢のホームレスがたばこをふかしながらたむろしていて、普通の人なら少し入るのに勇気がいるだろう。中に入れば、ソファに座ってぼんやりする人、朝食がわりに出されるパンやデニッシュをかじる者、新聞を読む者、スタッフに職やシェルターの仲介を依頼している人など、年齢も人種もさまざまなホームレスでごったがえしている。女性も少なからずいる。
グループセラピーは、午前と午後、毎日2回行われている。グループへの参加は、センター利用者の義務なので(つまり、グループに出なければシャワーも洗濯機も使えないし、昼食ももらえない)、彼らの参加動機は決して高いとはいえない。グループの時間になると立ち上がって出ていってしまう人さえいる。さらに、なにせ相手はホームレスだから、その日のグループにだれが来ているかはふたを開けてみるまでは分からない。そんな彼らの興味を一時間半引き付けるグループを持つのは、なかなか骨の折れる仕事であった。こちらがいくら頑張ってもまったく盛り上がらなかったり、仲の悪い者同士がたまたま同席して大喧嘩が始まったり、とにかくいろいろなことが起こる。
それでも、回を重ねると、お互いの存在にも慣れ、私のグループを楽しみにしてくれる人も出てきた。これから話す彼もその一人だった。仮に名前をJとしておく。Jは退役軍人である(男性ホームレスには、退役軍人の割合が非常に高い)。コカイン中毒のほか、ある重い精神疾患も抱えているが、まじめにプログラムに参加したのが奏功して、ここ一年半ほどはドラッグとも手を切っていた。そのため低所得者用の公的住宅に入ることができ、生活保護も受けて、なんとか一人でも暮らすことができるようになった。彼はほぼ毎日その住宅から、徒歩でルームメイトと一緒に支援センターにやってきて一日を過ごし、グループにもきちんと参加していた。ちょっとおどけたところのある、気のいい彼は、あまり積極的に発言はしないが、ときどき冗談を言って皆を笑わせるムードメーカーだった。私を子供のように慕ってくれる一面もあり、私が休んだ翌週は、まっさきに私のところに寄ってきて「先週はどうしたんだ。病気でもしたのか」と心配し、「先週はトレーニングがあって来られなかったの」と言うと、ほっとしたように笑顔を見せる人だった。
そんなJが、あるときを境に、ふっつりと姿を見せなくなった。ホームレスは出入りが激しいのが常だが、彼ほどまめに顔を出していた人が、何週間もまったく姿を見せないのは不自然だった。ルームメイトのKに聞いても、行方は知らないと言うだけである。
しばらく経って、スタッフの一人が彼をセンターから数キロ離れたショッピングモールの前で見かけた。明らかにクスリを使っていると分かる口調で小銭をせがんできた。スタッフが「お金はあげられないわ」と答えると、ふらふらと立ち去ったという。
あれほどまじめに毎日グループに参加し続けていた彼がリラプス(再使用)してしまったとは。私は過去のグループ記録で分厚くふくらんだ彼のファイルを思い出し、暗い気持ちになった。それからさらに何週間か経ったある日、Jは突然センターに戻ってきた。変わり果てた彼の様子に私はしばし言葉を失った。げっそりとやせて目だけがぎらぎらと光り、白髪が増えた髪は伸び放題、服はぼろぼろである。異臭もする。何より変わったのは彼の表情だった。いつも柔和な顔つきだった彼が、ろれつの回らない声で人が変わったように猛々しくスタッフにわめきちらしている。よく聞いてみると、生活保護の小切手の受け取り先をセンターにしてあるのに、スタッフがそのお金を自分にくれないといって騒いでいるのである。もちろん、渡したお金を右から左にコカインに使ってしまうのが分かっているのに、スタッフがそう簡単に金を渡してやれるわけもない。私が話しかけても、誰だかもよく分からない様子である。
「さっきは酔って道の真ん中に寝ていたのよ。車も通るのに危ないわ。何とかならないものかしら」。若いスタッフの一人、リサが心配そうに話す。ベテランの男性スタッフが彼に落ち着いた声で話し続け、彼もようやく最後に少し落ち着きを取り戻した。しかしクスリを使っているためにセンター内には入れてもらえない。グループを終えて外に出てみるとすでに彼の姿はなかった。
一部始終を目の当たりにした私は、すっかり気が滅入ってしまった。せっかく頑張って回復していたのに、再びクスリを使い始めて住むところも何もかもまた失ってしまった彼が哀れでならなかった。このままだと彼は早晩路上で死んでしまうかもしれない。何とか彼を助ける方法はないものか。生命の危険を理由に措置入院させることはできないのだろうか・・・。
スーパービジョンの席で、私はそんな気持ちをアルマにぶつけた。しかし、私の言葉をじっと聞いていたアルマは、「だめね。措置入院なんて無理よ。積極的に自殺を図ろうとしたわけでも、他人に危害を与えているわけでもないんだもの。命の危険というには弱すぎるわ」と言う。そして次に彼女の口から出たのが、冒頭の言葉であった。
さすがアメリカというべきか、本当にドライだな・・・と最初は思った。しかし、よく考えてみると、彼女の言うことももっともなのである。彼らのような、厳しい環境におかれた人々と日々接していると、「何とかしてあげなくちゃ」という気持ちになるのはたやすい。私が頑張れば彼らを‘救える’のではないかと錯覚してしまうのだ。しかし、薬物依存症の人と働いたことがある人間ならば誰でも知っているだろうだが、薬物依存は周囲がどれだけ躍起になったところで、本人に助けを求める気持ちや、やめたいという意志がなければ決して回復へのステップは始まらない。つまり、私がJのためにやきもきしたり落ち込んだり、入院させるために走り回ったりすることが、彼の回復の助けになるとは限らないということだ。おまけに、そんな「共依存」的態度を繰り返していたら、それだけで疲れ果ててしまい、セラピストとしてのあり方が損なわれる。そんな基本的なことを、アルマは短い言葉で私に思い出させてくれたのだった。
回復途上にある人が、またリラプスして心身ともにぼろぼろになっていくのを見るのはつらいものだ。だが薬物依存からの回復は、基本的には本人次第である。重い荷物を背負って山道を登ってゆくのは彼ら自身であり。われわれセラピストは、そのかたわらを寄り添って歩いているにすぎない。どんなに荷物が重くても、道が遠くても、その荷を私が代わりに引き受けることはできないし、歩いている人を無理やり引っ張ってゆくこともできない。歩いている人はときに歩みを止めてしまうこともあるだろうし、ずるずると後退してしまうことだってあるだろう。そんなときでも、私たちにできるのは、ただそこにいて待つこと、あなたは一人ぼっちじゃないと伝えることだけだ。まさに我々は誰かを救えるような「たいした人間」ではない。道を歩いていくのはその人自身であり、他のだれにもそれは代われないのだ。
(プライバシー保護のため、クライアントの個人情報は変更してあります)